どうも、ドミナゴです。
幼稚園~高校生まで、よく通っていたゲームセンターについての思い出を紹介しています。今回は「駄菓子屋のゲーム」についての思い出です。
男子にとって天国のような場所
小学校の頃の思い出といえば、駄菓子屋での出来事がほとんどをしめています。
そこは、小学生男子にとって必要なものが全て揃っていると言っても良い、天国のような場所でした(笑)。
駄菓子、ゲームはもちろんのこと、プラモデル、花火、おもちゃ、少年誌などなど、子供心をくすぐるもので満たされています。
昭和に生まれた男子は、一つぐらい行きつけの駄菓子屋があったのではないでしょうか。
私の行きつけは、おばあちゃんが一人で経営していて、外には数台、立ってやるゲーム筐体、いわゆるアップライト筐体がならんでいるという、絵に書いたような駄菓子屋でした。
そこで小学校に入学してから卒業するまで、数え切れない日数通い詰め、さまざまな思い出を作ることができました。
駄菓子屋で人生を学ぶ
駄菓子屋ではいろいろなことを学びました。
ある日、一つの人気ゲームをずっと仲間内で交代交代やっている小学校高学年のやつらがいました。
僕もそのゲームがしたかったので、列に並ぼうとすると、あっちいけと突き飛ばされてしまったのです。
そのときは小学校一年生か二年生だったので、体力では到底勝てません。
そこで、私はおばあちゃんにそのことを密告し、大人の力を借りて、敵を排除しました。
その時は勝った!と喜んでいましたが、ゲームプレイ後、そいつらにボコボコにされました(笑)。
もっとしっかりと作戦を練って実行しろ、ということをそのときに学びましたね。
その他には、当たり付きの駄菓子の見分け方にもデマがたくさんあることや、みかん水というジュースがみかん味ではないこと、メダルゲームで獲得したメダルを現金に交換できた駄菓子屋があったのですが、それは犯罪行為であること、などなど、学校では教わらないことも随分そこで学びました。
駄菓子屋は、ゲームに関する裏技などの情報を収集をしたり、スーパーカー消しゴムやキン消しを交換したりする、子供の社交場の役割も果たしていました。
クレイジーコング(ドンキーコングの海賊版)の1面でのワープ技を聞き、初めて成功したときはとても驚きましたね。
今はなき駄菓子屋
行きつけの駄菓子屋は、僕が中学を卒業するかしないかのときに無くなってしまいました。
おそらくおばあちゃんが亡くなったのだと思います。
その駄菓子屋は大通りに面したなだらかな坂の途中にあったのですが、今でも実家に帰りその道を通ると、昨日のことのように、あの頃の思い出が蘇ってきます。
昭和50年代当時、僕の地元では大変珍しかった外国人が、やたらブロック崩しがうまかったこと、駄菓子屋の外にあったインベーダーをプレイしているときに、坂の下から担任の先生が来て、とりあえず店の中に隠れようと実機をシェルターの下に入れ、先生をやり過ごしたが、全滅してゲームオーバーになっていたこと、ムーンクレスタを遊ぼうとお金を入れたら、ミサイルのボタンが壊れていて発狂したこと、などなど、いろんなことを思い出してしまい、いつもノスタルジックな気分になります。
もう一度、学校に戻って勉強したいとは思いませんが、駄菓子屋の前でゲームをしている自分に戻ってみたいなという気持ちにはなりますね。
ゲーセンの思い出については、これからもみなさんにご紹介できればと思います。
他の思い出については、以下も読んでいただけたら幸いです。
それでは、また。