どうも、ドミナゴ(@Dominago50)です。
コロナ禍になる前に撮影した海外旅行の写真を整理していますので、このブログで紹介していきたいと思います。
今回からは、2008年に行った中国(山東省)旅行の様子をご紹介していきたいと思います。
銀雀山漢墓竹簡博物館
飛行機で青島に降り立った私(と友人)は、銀雀山漢墓竹簡博物館のある臨沂市(りんぎし)にバスで向かいました。
4時間ぐらいで着くと思っていたのですが、途中、工事渋滞に巻き込まれたため結局7~8時間乗っていました。
いきなり中国の洗礼を受けました(笑)。
今はこういったことも少なくなっているのでしょうけどね。
そんなこんなで、ようやく臨沂市に到着しました。
博物館は、銀雀山・金銀雀墓群の近くにあります。
歩いていくと看板が見えてきました。
入り口はこちらです。
ここでチケットを購入して中に入ります。
廊下も凝った作りになっています。
銀雀山漢墓廳という建物です。
ここには銀雀山1号墓の発掘を再現したものが展示されていました。
1972年に発見されたのですが、この墓や竹簡を見つけたときは、テンション上がったでしょうね。
竹簡孫子
この博物館で特に有名なのが、竹簡孫子と呼ばれる出土品です。
墓からは、孫武と孫臏、それぞれの兵法書が出土したため、いままで孫子の兵法をどちらが書いたか結論がでなかったものに決着がつきました。
孫子の兵法は孫武、孫臏の兵法は孫臏が書いたということです。
紀元前100年以上前に書かれた書が、いまでも読み継がれて実践されていると考えると凄いことだと思いますね。
この建物内では実際の竹簡を見ることができます。
入り口には孫武と孫臏のお姿が。
写真ではよく見えないと思いますが、竹簡にしっかりと文字が書かれているのをみることができました。
これを見たときはとても感動したのを覚えています。
その他の展示品
この博物館では、竹簡の他にも多くの展示物があります。
古代中国で戦いに使われていた弓(のレプリカ)でしょうか。
あまり殺傷能力がなさそうですが...紀元前の話ですからね。
銀雀山漢墓群のジオラマですかね。
俯瞰で見るとわかりやすいです。
(春秋)戦国時代の青銅の剣です。
これは金印です。
日本だと漢委奴国王印が有名ですが、それよりも前の時代ということになりますね。
漢字の成り立ちのパネルがありました。
国によってバラバラだった漢字表記を秦が一つにまとめたという説明です。
紀元前に作られた文字をほぼそのまま今でも使っているのが日本や台湾ですね。
中国は残念ながら簡体化してしまいましたから「馬」も「马」になってしまいました。
非常に見応えのある博物館でした。
この当時(2008年)よりも、今(2023年)の方が、博物館も拡張されてきれいになっていると思います。
ぜひとももう一度訪れたい博物館ですね。
次回も旅の様子についてお伝えできればと思います。
旅行ガイド「るるぶ」は Kindle Unlimited でも読めますので、旅行に行く前にざっと読んでおくのも良いですね。
旅行については、以下の記事もお読みいただければ幸いです。
それでは、また。