どうも、ドミナゴです。
幼稚園~高校生までよく通っていたゲームセンターについての思い出を紹介していますが、今回は「補導員との戦い」です。
ゲーセンは悪の巣窟
昭和から平成の初めの頃までは、ゲームセンターに行くのは不良であり、ヤンキーのたまり場と認識されていました。
確かに私も怖い目にあったことが数回ありますし、タバコの煙で充満した暗い空間が、安全な場所とは思っていませんでした。
しかし、ゲームセンターが悪い場所だとは思ったことありません。ゲームセンターは、私にとても多く思い出をくれた楽園でした。
ですが、そんなパラダイスも学校から見たら悪の巣窟だったのでしょう。
私の通う中学校では、校則で「ゲームセンターに行ってはいけません」という決まりがありましたので、大人たちは補導員や先生をゲームセンターに送り込み、我々虫けらどもを捕獲しようと躍起になっていました。
なのでゲーマー達は「その先生や補導員からいかに逃れるか」というのが、ゲームを楽しむ上で重要なミッションとなっていました。
我々もアホではないのでゲームセンターに通ううちに色々と分かってくることがあったのです。
ゲーセン選びが重要
まずはゲームセンターの間取りの把握です。いくら充実したゲームが揃っているお店でも、出入り口が1つしか無いゲームセンターはよろしくありません。
なぜなら逃げることができないからです。私を含むゲーセンジャンキーどもは、交代で補導員が来るのを見張っていました。
2つある入り口の両方に人員を配置し、補導員らしき人が来たら、全員に知らせ、別の出口から逃げるという方法を取っていました。そのため出入り口が複数あるというのがとても重要だったのです。
また、男気?のある店主がいるゲーセンは、とても遊びやすかったです。マスターが我々の味方で、補導員が来ると入り口で時間稼ぎをしてくれ、そのスキに逃げることができました。ゲーセンにとっても我々は大事なお客さんですからね(笑)。
そのほか、アウトランなど大型筐体の影に隠れる、補導員が管轄外のゲームセンターに行く、放課後にある先生たちの会議を把握し見回りが無いことを確認する、駄菓子屋の前のゲームをする(ゲームセンターとはカテゴリされていなかった)などの対応策をとりました。
その甲斐あってか、ほとんど補導された記憶はないですね。一度、おもちゃ屋の地下にあるゲーセンで補導されかけましたが、自分の中学がその補導員の管轄外であったため事なきを得ました。
残ってほしい昭和のゲーセン
今は家で当たり前にゲームできますし、なによりスマホや携帯ゲーム機でも楽しめますからゲームセンターに行く必要はあまり無いですよね。
古き良き昭和テイストのゲームセンターがどんどん無くなってきていますが、ミカドなどはこれからも残っていってほしいなと思います。
ゲーセンの思い出については、これからもみなさんにご紹介できればと思います。
他の思い出については、以下も読んでいただけたら幸いです。
では、また。