どうも、ドミナゴです。
趣味として古い本や雑誌を読んでいます。
今回は、前回に引き続き1980年代の雑誌の中から、私が面白いと思った記事を2本を抜粋してご紹介します。
前回の記事は、以下となります。
ファンタジー通信 グイン・サーガの世界(手塚一郎)
まずは、「マイコンBASICマガジン(ベーマガ)」の1987年1月号に掲載されていたファンタジー通信から、グイン・サーガの話題についてです。
この記事は小説家でゲームライターでもある手塚一郎さんが書いています。
今回はあの「グイン・サーガ」を紹介しよう。これは栗本薫さんの代表作で、ヒロイック・ファンタジー(Heroic Fantasy)を取り扱った小説なんだ。記憶を失った超戦士が主人公なんだけど、他の小説と違うのは、彼が豹(ひょう)頭の仮面(実際は仮面かどうかわからない!)をつけているということ。
(中略)
グイン・サーガは100巻完結を目標にしており、現在は25巻、外伝6巻が刊行されている。
ということで、実は私も学生の時、15巻ぐらいまでは読んでいました。
100巻を目指しているということも話題になっていたので、楽しみに読んでいたのですが、自分が社会人となり、急に忙しくなったことも手伝って、ある時から読まなくなってしまいました。
そして季節は過ぎ、作者の栗本薫さんがお亡くなりになったとニュースで知ったときは、一体何巻まで出版されたのかも知らず、勝手に100巻には届かなくて途中で終わっているものだと勘違いしていました。
Wikipediaであらためて調べてみると、途中で終わっているという認識は正しかったのですが、なんとご存命中に130巻まで刊行され、しかも今は別の作者が物語を引き継いでおり、本編は147巻、外伝が26巻(2021年1月現在)まで出ていると知って驚きました(無知ですいません)。
今からもう一度最初から読んでみたいなと思いましたが、外伝も含めると170巻以上ですか....とりあえず図書館で第一巻を借りてみることにします。
ミーハー対談 ところで、ファミコンはどうなるんだろう? vs みうらじゅん
続いては、前回も紹介した雑誌「Beep」1986年8月号から、遠藤雅伸さんとみうらじゅんさんとの対談です。(前回もみうらじゅんさんでしたね(笑))。
遠藤雅伸さんは、言わずと知れた「ゼビウス」や「ドルアーガの塔」の生みの親です。
みうら:よく身上相談の欄に「子供にファミコンを買い与えるべきかどうか」なんて出てるでしょ。ぼく、あんなの買ってやりゃいいのに...と思うよ。それでイジメられないんだったら安いもんじゃない。(中略)せめて「ゼビウス」とか基本的なゲームぐらいね、成長の過程であっていいと思うけどね。「ゼビウス」を知っているのと、知っていないのとじゃ、子供の話題がちがってきちゃうもんね。
遠藤:ぼくらの小学校のころも「ウルトラQ」昨日のぶん見のがしただけでもう仲間はずれされましたもんね(笑)。「お前、ナメゴンでてきたの知らねえだろう!!」とか言ってね(笑)。ビデオもなかったから、ほんと親戚死なれたらたまんない(爆笑)。お通夜のとき見てぇなあと思って、親に「30分だけ」いや「15分だけ」とか言ってね(笑)。
みうら:今、そういう子供の常識としてファミコンがあるわけなんだろうね。
これを読んでいて僕も思い出しました。
小学校の時、町内のソフトボール部に(いやいや)所属させられていたときのことです。
なぜか木曜日夜8:00から部員が集まってジョギングをするという、私にとって完全な拷問といえる練習がありました。
なぜなら、私はアメリカ横断ウルトラクイズがとても好きで、毎週木曜日を楽しみにしていたからです。
それなのに、「なぜゆえ同時刻に、したくもないジョギングをしなければならないのか」と憤りました。
「これを見ないと次の日、クイズ好きの友達との会話についていけなくなる」と親に懇願したのですが、受け入れられず、しぶしぶ夜の町内を死んだ目で走ったのを思い出します。
そのころからでしょうか、集団行動と同調圧力が嫌いになったのは(笑)。
これについては今でもジョギングに参加すべきでなかったと後悔しています。
あの日のあの時の思い出は、取り返しがつかないですからね。
もう一つ、ファミコンブームについての話題です。
BEEP:さて、ファミコンはどうなるんでしょう?ブームで終わるにしては、定着しすぎているような気もしますが...。
遠藤:今は、大人もやるし、子供もやるということでブームになっている。でも、大人があきちゃってやめてしまっても、また子供から子供にひきつがれていくんじゃないかな。もちろん、大人のなかでも、依然としてゲームに熱中する人もいると思うけどね。
みうら:だって、ゲームがキライな人なんていないんじゃない。ぼく、そんな人はアタマおかしいんじゃないか(笑)と思うもの。キライっていうのはついていけないんじゃないのかナ。
遠藤:アタマおかしいんじゃないっていうのはいいね(笑)
これは対談の最後の方の部分なのですが、当時はまだ(ファミコン)ゲームが、一過性のものかもしれないと考えられていたことがわかります。
「ゲームキライ=アタマおかしい」は過激だけど面白い発言ですね(笑)。
いまだにどこかの県やどこかの国でゲームが目の敵にされているのを見ると、こう言ってやりたくなります。
今回はここまでということで、これからも古い雑誌で面白い記事を見つけたらご紹介したいと思います。
それでは、また。